今日は私のお仕事についてのお話を少し。
作文講師歴12年の私。
ブログに書く文章は、全く高尚ではないのですが(笑)
作文には、子どもの胸の内や家族のことなどが書かれることが多いです。
ですから、講師は、生徒さんのきわめてプライベートな部分に触れることもあります。
必然的に、お母さんがどのように子どもに接しているのかも、真実が見えてしまうことも多いのです(笑)
12年、いろいろなお子さんとお母さん(お父さん)に指導してきて感じることがあります。
それは、作文に限って言えばですが
親にガチガチに縛られていない子の方が、よい作文を書けるということ。
よい作文ってどんな作文なのよ?
という声が聞こえてきそうですが、私が思うよい作文とは、優等生風な模範的な作文ではなく、のびのびと自分を表現できているものだと思います。
そもそも書くというのは、何かを伝えたい、表現したい、記録したい、そんな気持ちから発生する行為だと思うので。
送られてきた作文を読んで、思わずクスッとしてしまうものや、感動して涙を誘われるようなもの。
決してうまい文章ではなくても、そんな書き手の心模様が見えてくるような作文を書く子は、決まってお母さんが適当(いい意味で)なのです。
適当のさじ加減も難しいところですが(笑)ちょっとくらいのアバウトさが大切なのだと思います。
この作文、1年生の子が書いたものです。
沖縄の子なので、「シーミー」、「うーとーと」などという沖縄ならではの言葉が使われています。
お母さんは、毎週投函を忘れてしまい、二か月分をまとめてどかっと送ってくるような方なのです(笑)
それはさすがに行き過ぎかもしれませんが、そんな肩の抜けたリラックス感が、子育てにはとても大事な気がします。
この子も、その上のお兄ちゃんも、いつも子どもらしいのびのびとした光る表現で、作文を読むのが楽しみな生徒さんです。
まとめての添削は大変ですけどね(笑)
きっと、この子たちは、書いたものについてお母さんにあれこれ口を挟まれたことがないだろうなと私は推察しています。
何を書いても文句を言われないから、のびのび自分の心のうちを表現できるのだと思うのです。
だから、お母さんの適当さが大切なのです。
私は神経質かも。。。と思い当たるお母さんは、ぐっと堪えて見ないふりをしましょう(笑)
この子たちの文章は、文章の良し悪しだけで判断したら、ごく普通レベルです。
でも、このあと、成長に伴い伸びる予感がしています。
なぜそう思うのかというと。。。
書き方のテクニックは、ある程度の年齢になれば、覚えることは可能です。
でも、表現力は、一朝一夕に手にすることはできません。
伸びる子というのは、自由に表現する方法を身につけた子じゃないかというのが、この12年の私なりの結論です。
3年生のこの女の子も、とってもユニークな発想の持ち主。
あわのドレスをプレゼントしてくれました(笑)